雨と晴れと舞台

踊り、演劇、お笑い、いろいろな舞台に関して綴ります。

加賀見山旧錦絵 5月文楽公演

  東西東西(とざい、とーざい)の明るい呼び込み声で幕がひらく。

  「加賀見山旧錦絵」は女忠臣蔵とも言われる仇討ち場面が人気の人形浄瑠璃だ。

  加賀藩のお家騒動に、実際に起こった江戸での大名家の奥御殿での仇討ち事件をとりこんだ作品がベースとなる。のちに別の加賀騒動を描いた浄瑠璃の又助の悲劇を加え、上演する形式となった。

  話の接続がどこがどうつながるのか?とわかるまで少し時間がかかったが、同じ題材ではあるが、別の作品が組み合わさっているのである。江戸時代にはこの手法は普通。


  〈筑摩川の段〉春雨で増水した筑摩川の川辺。馬に乗った大殿様の加賀大領が川を渡ろうとすると、望月源蔵にだまされた鳥井又助が大領を悪家蟹江一角と思い込み討ってしまう。危険を顧みず使命を果たし、その達成感を表すような大笑いで幕となる。

  〈又助住家の段〉舞台は5年間後の又助の侘び住居。ここから繰り広げられるのは、陪臣の悲劇である。又助は谷沢求馬の家臣であるが、求馬が仕えている大殿(大領)や家老蟹江一角の顔を知るよしもない。ましてや、お家騒動渦中の動きもわからず、求馬を思う一心を利用されてしまったのだ。

  妻の身売り、我が子も手にかけ己も自害、と悲劇的な場面が重なってゆく。しかし又助自身を求馬に討たせることにより、大領暗殺の犯人を討った手柄をあげさせ、求馬の帰参が叶うことになる。事情がわかった又助の、騙されたやり場のない怒り、階級社会の重苦しさから、悲願がかなう静かな喜びまで表現されている。

  〈草履の段〉ところ変わり、着物の色が華やかに映える鎌倉の鶴岡八幡宮。局岩藤と中老尾上の一行が参詣している。尾上は武家ではなく裕福な町人出身であるが、高い役職である中老を若くして勤めている。そんな尾上を岩藤が執拗に当てこするが、尾上はお家の先行きや両親の嘆きを思い、賢明に耐える。最後は岩藤は尾上を草履で打ちつけるが、それをもなお心を抑え耐える尾上に岩藤も呆れ諦め立ち去る。しかし、寺々の暮れの鐘の音を聞きながら一人退出する、そのときにはすでに自害の覚悟を定めていた。

  〈廊下の段〉翌日。館では腰元たちが通りかかった尾上の召使いお初を呼び止め、鶴岡での出来事を聞かせ、岩藤をそしっている。その後、お初は岩藤と弾正とのやりとりから、お家乗っ取りの恐ろしい陰謀が表と奥の両方で進行していること、尾上がそこに巻き込まれてしまったがゆえに、嫌がらせを受けていることを知る。

  〈長局の段〉長局とは奥女中たちのそれぞれの居室が連なっているところ。だれもが昨日のことを意識している息のつまりそうな局面が舞台背景としてある。当事者である尾上と、尾上を最も気遣うお初の、主従の葛藤が描かれる。

  一人残った尾上ははじめて胸に秘めた思いを吐露する。後半は、不吉な前兆に胸騒ぎを覚えたお初が、尾上の最期に際し激情を爆発させるまで、物語は一気に進行する。

  〈奥庭の段〉烈女となったお初は、主人の仇を討つため懸命に岩藤と闘う。三味線のメリヤスが流れる立ち回りの末、見事岩藤を打ち果たす。

   新参者の少女お初が、主の仇を討つ烈女に変容する様が、素晴らしかった。こちらの身体も一緒に持っていかれるような躍動感。外見的な動きがf:id:miverde:20170701175056j:plain

激しいためだが、内面からの湧き出る表現が伴っているからだろう。一見違う話しのようではあるが、又助の話、筑摩川の段、又助住家の段、も主人を思う臣下の話しであり忠義という点は共通したものが流れている。しかさは又助場面では解消しきれない不条理と、また尾上の物語り、草履打の段、で耐えに耐えた鬱屈が烈女お初の身体の動きにより一気に昇華されていった。

  しかし耐えに耐えた尾上は、現代のパワハラ事情を考えるヒントになるのではないか、とも漠然と考えた。舞台上では仇討ちはなくてはならない大捕物であるし、これがないとすっきりしない。今でも脳裏に浮かぶのはお初の躍動感である。しかし町人の出であり耐えた尾上も素晴らしい。自害がないと次々の仇討ちに話が繋がらないが、耐えてしぶとく生き残る尾上であってほしい。嫌がらせをしてくる相手にはとことん相手に合わせると、相手はもう嫌がらせをする気もなくす、という話しを聞いたことがあるが、そういうことかもしれない。