雨と晴れと舞台

踊り、演劇、お笑い、いろいろな舞台に関して綴ります。

秀山祭九月大歌舞伎

伊勢物語

 紀有常生誕1200年、「伊勢物語」の趣向を歌舞伎に巧みに取り入れた作品であり、歌舞伎座では半世紀ぶりの上演作品である。

 文徳帝の崩御後、朝廷では惟高親王と惟人親王が帝位をめぐって争っていた。そうした中惟高親王方に三種の神器が奪われる。その頃、玉水渕では水が振動する不思議がおこり、その様子から行方の知れぬ三種の神器が沈んでいる可能性があるとのこと。

 大和国春日野に住む小由(東蔵)の娘信夫(菊之助)は、夫、豆四郎(染五郎)のために、銅鑼の鐃八(又五郎)と争い手に入れる。それというのも豆四郎の父は在原業平の父である阿保親王に大恩を受けていた、夫に忠義を立てさせたい一心でのことであった。ここでの信夫と鐃八の立ち回りが、平面で動いているのに奥行き立体感があってとても見ごたえがあった。

 しかしそんなことは知らぬ豆四郎は信夫が他の男と会っていたのではないかと疑っている。そのやきもちをやいているすねた様の染五郎がとても愛橋がある。

 鏡を渡し、事の次第を打ち明けると信夫の心に豆四郎は感謝をするが、玉水渕に立ちはいった罪により母の小由に累が及ばぬように、勘当を受けるようにと諭す。信夫はその言葉に従い、わざと小由に嫌われるような言動をするが、うまくいかない。心の底では母を愛し、それが故に冷たい態度をとる菊之助の演技が上手だ。なにをされても可愛くてしょうがないという小由の愛情の深さにおもわずほろりとさせられた。今も昔も変わらぬ親子の情であろうか。

 しかし、小由と信夫は実の親子ではない。信夫は紀有常(吉右衛門)の子供である。

17年前兄の勘当を受け陸奥に下り百姓暮らしをしていた有常が昵懇にしていたのが小由夫妻でああり、信夫のことは事情があり小由がひきとったのである。その信夫を有常が引き取るために、有常は小由の前に現れた。17年ぶりの再会を喜んだ小由ははったい茶で有常をもてなす。

 吉右衛門の長裃姿と周りの情景、簡素な百姓の家であるが、このふたりのやりとりをながめつつ、俵屋宗達「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」が思い起こされた。金箔の雅さ品格に素朴さの融合のようなイメージがふっとふかぶ。

 しかし、有常は信夫をひきとり大事に育てるというわけではなく、こちらもわけあって有常が育てた井筒姫の身代わりにする為であった。現代では考えられない話であるが、そこは歌舞伎である。また、夫の豆四郎は井筒姫と相愛の在原業平の身代わりとなる。豆四郎の父は業平の父に仕えていた、その恩義に報いる為であり容姿もよく似ているからである。

 別れに際し、信夫の弾く琴とそれにあわせる小由の砧の音をバックに吉右衛門の演技が見ごたえがある。肚には幾重にもの万感の思いがこめられているのが、抑えた演技から伝わってくる。

 最後、在原業平染五郎)と井筒姫(菊之助)が姿を見せる。自分たちの身代わりとなってくれた豆四郎と信夫を悼むためであるが、ふたりの生まれ変わりのようにも見える。能「井筒」と見比べてみるのも面白いだろう。